鴨頭嘉人:かもがしら よしひと
職業:YouTube講演家
前職:マクドナルド社員
・日本一最低な店長時代
・日本一最低な店を日本一に!
・伝説の店長との異名を持つ
・始末書を書いた数は日本一
鴨頭嘉人(かもがしら よしひと)さんってどんな人?
現在、YouTube講演家として活躍されています。
前職のマクドナルドでは、毎月250万円以上の赤字を出すような店舗を、3部門で日本一を獲得するようなお店に成長させ、個人では、社内のすべてのタイトルを獲得した唯一の人物として、伝説の店長の異名を持ちます!
鴨頭さんは、才能に恵まれた凄い人物のように思われがちですが、過去には様々な失敗があったようです。
マニュアルを徹底的に追及した初店長時代の失敗とは?
30歳で初めて、宮城県仙台市の仙台一番町に店長として主任されます。
鴨頭さんは、朝から晩まで働き続けて、就業規則や上司の指導を無視して、休みなく現場に立ち続けていました。
自分以外のスタッフを一切信用していなかったからです。
少しでもマニュアル通りにできていないスタッフがいれば徹底的に指摘して、毎日職場を監視するような状態だったと言います。
全スタッフを、マクドナルドのマニュアル通りに働かせることだけを考えて、毎日教育し続けました。
職場の雰囲気は最悪で、自分が挨拶をしても他のスタッフに無視され、いつしか、鴨頭さんは一日中無言で仕事をするようになっていたそうです。
それから程なくして、人事異動を命じられます。
鴨頭さんは、日本一最低な店長だったと、このときのことを振り返ります。
日本一最低な店長が誓った決意が人生を大きく変える!
鴨頭さんは、転勤を機に、今までの自分の考え方を大きく変える決意をします。
今までは、自分のやり方だけを信じてきましたが、今後は何があっても、スタッフの未来を信じるようにしようと心に誓います!
鴨頭さんが新しい店舗でまず行ったことは、本気のオリエンテーションです。
全スタッフと1対1で他社の繁盛店を視察に行って『こんな素敵なお店にするために自分たちができることは何でもやろう!』と具体的な方針を明確に伝えました。
次にやったことは、スタッフの意見を徹底的に経営に取り入れることです。
鴨頭さんは『いいね、すぐにやってみよう!ありがとう!』が口癖になっていたそうです。
・来店客の名前をみんなで覚える
・ドリンクおかわり自由
・自社の看板を告知看板に変えた
・スタンプカードの採用
・発案者をキャンペーンリーダーに
その結果、スタッフのモチベーションが劇的に上がり、接客の質もあがり、顧客満足度も上がり、キャンペーン1つで売り上げが6倍にあがり、信じられないような結果が次から次へと出てきます。
鴨頭さんの店舗は、スタッフ全員が経営者であり店長のお店に変わりました。
お店の経営をスタッフ全員が自分事のように熱心に考え、様々なアイデアを出し合って、発案者が責任をもってどんどん挑戦していくエキサイティングな職場になっていました。
スタッフルームでは、アルバイトスタッフが企画会議のような会話をしたり、休みのスタッフが売り上げを見に店に遊びに来るような状態だったそうです。。
マクドナルドで書いた始末書の数は日本一の社員だった!
鴨頭さんの店舗では、スタッフ達の貴重な意見を徹底的に採用し、1カ月に多いときで、12個のキャンペーンを行っていたそうです。
本社にイベントの話を通せば、却下されてしまうので、内緒でこっそりとやることが多く、これまでに大量の始末書を書かされてきました。
内緒で照り焼きバーガーを半額で販売したり、一般の販売開始時間より早く商品を販売したり、誰よりもたくさんのリスクを背負っていろんなことにチャレンジしていました。
最低な店長の誓いが、最低な店舗を日本一にまで成長させ、伝説の店長と呼ばれるようになります。
鴨頭さんは、その後も様々な功績が認められて、マクドナルドのタイトル(階級のようなもの)全てを獲得しています。
まとめ
今、サラリーマンをやりながら、将来独立起業を考えている方に向けて、鴨頭さんは
『サラリーマンのときにできないことは、独立起業しても出来ない』
『リスクを取れない会社員は、独立してもリスクなんて取れないし、社員でいる間にリスクを積極的に取りにいって、たくさん失敗して経験していけばいい』
このようにおっしゃっています。
鴨頭さんが企業講演で語った話
引用:鴨頭嘉人(かもがしら よしひと)
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